横浜地方裁判所 昭和45年(ワ)368号 判決 1972年6月20日
原告
荒武正
ほか一名
被告
松本富雄
ほか一名
主文
被告両名は各自原告両名に対し、各金三、一九八、〇〇二円及びこれに対する昭和四五年三月二二日から完済迄年五分の割合による金員の支払いをせよ。
原告両名の各請求中その余をいずれも棄却する。訴訟費用はこれを五分し、その二を原告両名の、その余を被告両名の負担とする。
この判決は、第一、第三項に限り、仮りに執行することができる。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
被告両名は各自原告両名に対し各金五、三二五、〇〇〇円及びこれに対する昭和四五年三月二二日から宗済迄年五分の割合による金員の支払いをせよ。
訴訟費用は被告両名の負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
原告両名の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告両名の負担とする。
との判決
第二当事者の主張
一 請求の原因
(一) 交通事故の発生
被告松本富雄は昭和四四年四月六日午後一一時二五分頃普通貨物自動車(相模四ら二〇八三号以下被告車という。)を運転し、埼玉県越ケ谷市下間久里二〇一の一番地先国道の信号機のある交差点にさしかかつた際、注意の信号で停止した訴外磯部博運転の普通貨物自動車に右被告車を追突させ、その衝撃で被告車の運転台に同乗させていた訴外荒武正邦に重傷を負わせ、その後間もない同日午後一一時三〇分頃右傷害により死亡させたものである。
(二) 責任
1 本件事故は被告松本が先行車との車間距離につき安全な間隔をおかず且つ信号機の表示について運転上の注意義務を怠つた過失により惹起されたものであるから、同被告は民法第七〇九条にもとづき本件事故により生じた損害を賠償する責任がある。
2 被告有限会社詰節進商店は被告車を所有し、自己のために運行の用に供していたものであるから自動車損害賠償保障法(以下自賠法という。)第三条にもとづき本件事故により生じた損害を賠償する責任がある。
(三) 損害
1 訴外亡荒武正邦の逸失利益
同訴外人は宮崎県下の高等学校を卒業すると同時に神奈川県藤沢市でクリーニング店を経営する実兄政司の下で稼働し、本件事故当時既にクリーニングの技術並びに自営する場合の経営上の知識を修得しており、且つ原告正において独立の場合の資金の援助を用意していたので両三年のうちには適当な場所でクリーニング店を自営できた筈である。
一般に自営者の収入が同一技能の被傭者のそれよりも多いことは明らかであるから、同訴外人の逸失利益を算出するにあたり、神奈川県内の技能者の雇傭平均収入をその基礎とすることは充分理由がある。
そこで、同県内の技能者の平均収入をみるに、労働大臣官房統計調査部の毎月勤労統計地方調査結果速報によれば昭和四三年五月から同四四年四月迄の一年間の平均年収は六九万八千余円であり、同訴外人が毎年右の金額を下らない年収を得たであろうことは確実である。
そこで、同訴外人の生活費を年額二四万円とみて、これを右年収から控除した四五八、〇〇〇円が同人の年間純所得となる。
ところで、同訴外人は本件事故当時二一才(昭和二三年一月二七日生)の健康な男子であつたから、その平均余命は四七年以上であり、その間自営者としては六五才迄(四三年間)稼働することができた筈である。そこで、この間の同訴外人の得べかりし利益から、ホフマン式計算により年五分の割合による中間利息を控除して、その現在価を算出すれば一〇三五万余円となる。
従つて、同訴外人は本件事故により右と同額の損害を蒙つたことになる。
2 同訴外人の右損害賠償請求権はその死亡により同訴外人の唯一の相続人である原告両名が各二分の一(五一七万五千円)宛相続した。
3 原告両名の損害
Ⅰ 葬祭費 各一五万円宛合計金三〇万円を下らない。
Ⅱ 慰藉料
亡正邦は原告両名の五男であつたところ、前記のとおりクリーニング店の自営を目標に熱意をもつて仕事に精励していたものであり、原告正は同訴外人の自営の祭の店舗開設等の資金援助も用意し、その将来を期待していたものである。
そのようなとき本件事故により突然同訴外人を奪われた原告両名の精神的打撃は大きく、それに対する慰藉料としては各一五〇万円宛が相当である。
(四) よつて、原告両名は被告両名に対し各金六八二万五千円の損害賠償請求権を有するところ、うち各金五三二万五千円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日たる昭和四五年三月二二日以降完済迄民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるものである。
二 請求原因に対する認否
(一) 請求原因(一)(交通事故の発生)の事実は、認める。
(二) 同(二)(責任)中、被告松本の過失の点及び被告会社が被告車の保有者であることは認めるが、その余は否認する。
(三) 同(三)(損害)中、訴外亡正邦がクリーニング業を自営する実兄荒武政司のところに勤務していたこと、二一才の男子の平均余命が四七年であることは認めるが、その余はすべて争う。
訴外亡正邦は当時アイロンかけ、或いは配達等を行なつていたにすぎず、到底技能者ということはできない。又同訴外人は将来クリーニング業を営む予定もなく、郷里の宮崎県に帰つて農業に従事する予定であつた。
従つて、神奈川県内の技能者の雇傭平均収入を同訴外人の逸失利益算定の基礎とすることは相当でなく、全産業の平均賃金(賃金センサス)によるべきである。
三 被告両名の主張及び抗弁
(一) 訴外亡正邦は運転補助者であつて自賠法第三条の「他人」に該当しない。
被告会社は昭和四四年四月五日、被告会社の従業員である深山収が被告車を運転して同人の郷里である栃木県の那須へ帰郷したい旨申し出たのでそれを承諾した。同人は同日午後八時過頃被告車を運転し、藤沢市善行の同人の実兄田代強宅へ立寄つたが、その際被告松本が右深山と同郷であることから自分も被告車に同乗して帰郷したい旨右深山に申し出たので、同人はこれを承諾した。ところがかねてから被告松本と親交のあつた訴外亡正邦が、被告松本とともに同被告の実家へ行きたい旨懇願したので、右深山及び被告松本は、遠く郷里を離れて働いている亡正邦をおいて自分達だけが帰郷することは忍び難く、止むを得ずこれを了承し、同日午後一〇時頃右三名で善行を出発した。ところで、右三名はいずれも普通免許取得者であつたため、三名が交替して運転することを暗黙のうちに了承しあい、現実に三名が交替して運転に従事し、運転していない者は運転補助席において安全を確かめるなど運転の補助をしていたものである。
亡正邦は本件事故当時は被告車を運転していなかつたとはいうものの、往路においては宇都宮から那須の深山の実家、同所から黒羽町の被告松本の実家までの間を運転し、復路においては、被告松本の実家から深山の実家、同所から埼玉県北葛飾郡幸手町までの間を運転しており、本件事故当時は運転補助者として被告車の運転に従事していたものである。
従つて、亡正邦は本件事故について自賠法第二条第四項にいう「運転者」に該当し、同法第三条の「他人」ということはできない。よつて被告会社は原告らに対し損害賠償義務は存しないのである。
(二) 又本件損害賠償責任の量的制限――好意無償同乗
被告松本と亡正邦とは本件事故の一年前頃から藤沢市善行地区商店街の青年グループの集りである「新友会」において知り合つて以来親密になり、お互の部屋に泊つて、郷里のこと、将来のことなどを語り合い、また共に遊ぶなどして親友の間柄にあつたものであり、被告車に亡正邦が同乗するに至つた経過は前記のとおりである。これはいわゆる好意無償同乗である。
このような事情(特に、被告会社においては亡正邦の同乗を承諾していない。)からみて亡正邦ないし原告らに生じた損害の全部を被告両名に負担させることは衡平の原則を失するものというべく、損害額の算定に当つては、右事情を充分勘酌すべきである。
(三) 原告両名は昭和四五年一二月一〇日、本件事故につき自動車損害賠償責任保険金三〇〇万円を受領済みである。
四 被告両名の主張に対する原告両名の反論と抗弁に対する認否
(一) 自賠法第二条第四項の趣旨は、被害者の救済を容易にするために「運転者」の範囲を拡大したものであつて、自動車の運行供用者の責任を軽減する方向に動くものではない。
従つて、長距離運行の自動車において、運転者二名が乗務し、交替で運転する場合、仮眠中起きた事故によつて負傷した運転者は「他人」であつてその損害は賠償されなければならないのである。
(二) 好意無償同乗の主張については全部争う。
被告会社と田代強経営の米穀燃料店は本店、支店の関係にあり、本件事故は田代強、深山収兄弟の実家で必要なカマスを運送するため、田代商店が被告車を借受け、右深山、被告松本及び亡正邦が交替で運転してこれを運送しての帰途において発生したものである。
従つて、被告車は田代商店、ひいては被告会社の営業のために運行されていたものと云うべく、また亡正邦も被告会社の営業活動のために被告車の運転に従事したものであるから好意無償同乗と云うことはできない。
(三) 原告両名が自賠責任保険金三〇〇万円を受領したことは認める。
原告両名はこれあることを予想し、本件訴訟提起の際右三〇〇万円を除外した一部請求をなしているものである。
第三証拠〔略〕
理由
一 (交通事故の発生)
請求原因(一)の事実は、当事者間に争いがない。
二 (責任)
(一) 本件事故につき被告車を運転していた被告松本に原告両名主張の過失があつたことは当事者間に争いのないところである。(ちなみに、その内容は、〔証拠略〕によれば前方不注視及び速度制限違反(速度制限が時速六〇キロメートルであるにも拘らず時速約八〇キロメートルの速度で走行していた)による追突であることが認められる。)従つて、被告松本は民法第七〇九条、第七一〇条、第七一一条にもとづき本件事故により生じた損害を賠償する責任がある。
(二) 被告会社が被告車を保有していたことは当事者間に争いがないから、特段の事由のない限り、同会社は、自賠法第三条本文、第四条、民法第七一〇条、第七一一条に則り、右と同一の責任がある。
ところで、被告会社は本件事故における亡正邦の他人性を争うので、以下この点について判断するに、前記一の事実、〔証拠略〕によれば以下の各事実が認められ、〔証拠略〕中、これに反する部分はたやすく措信しがたい。
1 亡正邦が被告車に同乗するに至つた経過
訴外深山取は被告会社の、被告松本は被告会社善行支店(屋号田代屋)のそれぞれ店員であつたが、右両名は同郷で且つ親戚関係にあり、田代屋の経営者田代強(田代家の養子になつたので田代姓を名のり、旧姓は深山)は右深山の実兄であつたこと等から平素から親しく交際していた。
また、被告松本は昭和四二年頃、藤沢市駅前商店街の店員で組織している「新友会」において亡正邦と知り合い、以来最も親しい友人として交際していた。
ところで、右深山は昭和四四年四月はじめころ、同月五日に郷里である栃木県那須に被告車で帰郷することを計画し(実兄である田代強に実家で「かます」を必要としているので持つて帰るように云われていたので、その運搬も兼ねることにして)、これを被告松本に話したところ、同被告も一緒に帰郷したい旨希望したので、二人で帰郷することにした。
ところが、被告松本が右帰郷の件を亡正邦に話したところ、同人も同行したい旨希望したため、同月五日午後八時頃被告車を運転して前記田代屋に来た深山に対し、亡正邦、被告松本ともども、亡正邦の同行を依頼したところ、右深山がこれを承諾したため、右三名が被告車に同乗して那須に向うことになり、約三五〇枚のかますを積み込んだうえ同日午後一〇時頃、田代屋を出発した。
2 本件事故に至る迄の事情
藤沢市善行から越ケ谷迄は深山が運転したが、越ケ谷から宇都宮迄は被告松本が、宇都宮から那須の深山の実家迄は亡正邦が、それぞれ自から申し出て運転した。深山方には四月六日午前三時頃到着、かますを降ろして、暫く休息した後、被告松本と亡正邦の両名は深山から被告車を借り受け、亡正邦の運転で同被告の実家に向い、同所に同日午前五時頃到着するや直ちに睡眠をとり、午後零時頃起きて食事をし、再び亡正邦が運転して被告車で那須に遊びに行つたのである。
その後、同日午後八時頃、亡正邦が被告車を運転して深山の実家に行き、深山を乗せたうえで帰途についたが、被告車の運転はそのまま埼玉県北葛飾郡幸手町のドライブイン迄亡正邦がなし、同所を出発するに際し、運転を被告松本と交替した。
同所を出発してから約一〇分位後、亡正邦は深山に対し「疲れたので寝る」と断わつて眠つてしまつた。この時被告松本は勿論運転席に、その左側助手席に深山が、そして更にその左側助手席に亡正邦がのつていた。そしてその後本件事故(被告車の前部左側が先行停止貨物車の右後方部に衝突した。)が発生したのである。
3 ところで、判決例において自賠法第二条第四項に云う「運転者」が同法第三条の「他人」に該当しないとされているのは、当該自動車の直接の運転者(運転補助者を含む。)は、多く当該事故を直接惹起し或いは重要な要因を現出しているのであるから、自賠法により厚く保護されるのは相当でないというに帰し、「運転者」が絶対的に「他人」に該当する余地がないとするものではないと解するを正当とする。
そこで、右の「運転者」の意義につき考察するに、これは<1>事故当時直接に自動車の運転(運転の補助を含む)に従事していた者、及び<2>自動車の運転者(運転補助者を含む。)としての継続的且つ固定的身分関係がある者を云い、右両者が一致するのが通常であるが、<2>に該当するも偶々事故当事は運転(又は、その補助)に従事していなかつたというような場合もありうべく、このような者は自賠法第三条の「他人」に該当すると解するのが同法の趣旨にも添い合理的である。
即ち、自賠法第三条の他人から除外される運転者とは、運転者として自動車に乗り組んだ者一般を指すのではなく、事故当時現に運転(又はその補助)業務に従事していたか、従事していなければならなかつた過失ある者をいうと解する(昭和四四年三月二八日最高裁第二小法廷判決に対する同年民事判例解説21二一四頁)を正当とする。
これを本件につき観るに、亡正邦が本件事故発生前に被告車の運転を直接、しかも相当長時間に亘つて関与していたことは明らかであるが、同人は右の<1>に該当しないことは勿論、未だなお<2>に該当するということもできず、仮にこの程度をもつて<2>に該当するとしても、なお同人が自賠法第三条の「他人」から除外さるべきものでないことは右に示した見解に照し明らかである。
従つて、いずれにしても亡正邦は自賠法第三条の他人と云うべきである。
三 (損害)
(一) 亡正邦の逸失利益
すでに示した事実及び〔証拠略〕を綜合すれば、亡正邦は宮崎県で農業を営む原告両名の五男として出生(昭和二三年一月二七日生)したものであるところ、当初は郷里で農業経営に従事する予定であつたため、原告正は亡正邦のためにみかん園用の土地を購入し、亡正邦は農林高校に入学するなどしたが、高校卒業と同時に藤沢市でクリーニング業を自営する実兄政司の下で働らくことを希望して郷里を離れ、その後本件事故により死亡する迄三年間余右政司の下で店員として勤務してきたこと、その間の仕事ぶりは真面目であり、本件事故当時にはクリーニング技術も「一人前に近い程」修得するに至つていたこと、本件事故当時、政司からは毎月一万五千円を支給されていたにすぎない(但し、食費、住居費に住み込み店員であつたから、必要なかつた。)が、将来結婚する際には独立してクリーニング業を自営する予定であり、その際には原告正、兄政司らの援助が約束されていたことがそれぞれ認められ、〔証拠略〕中、右認定に反する部分はたやすく措信できない。
原告両名は右のように亡正邦が将来クリーニング業を自営する予定であつたこと、及び一般に自営者の収入は同一技能の被傭者の収入よりも多いと推定されることを理由に、神奈川県内の技能者の雇傭平均収入を基礎として亡正邦の逸失利益を計算しているのであるが、亡正邦は本件事故当時若冠二一才に過ぎないのであるから近い将来(両三年内)に独立が可能であるとすることはできず、また同人が独立するに際して神奈川県内で独立する予定であつたということも認めることができない(〔証拠略〕中には、亡正邦に対し「支店か何かの形で店をやるつもりでした」という部分があるが、これも到底具体的計画などと云うことのできないものである。)以上、原告両名の右主張を容れることはできず、むしろ亡正邦の逸失利益は労働大臣官房労働統計調査部の「昭和四二年賃金構造基本統計調査報告第一巻」にもとづいて算出するのが相当である。しかして、右による企業規模一〇人以上の企業における高等学校卒業の男子の年令別の平均月間定期給与額及び平均年間賞与その他の特別給与額は別紙第1表のとおりであり、亡正邦はその年令に応じてこれを下らない額の収入を得たであろうことが推定される。
ところで、同人が本件事故当時二一才であつたから、本件事故がなければなお四七年余生存できその間六三才迄四二年間就労が可能であつた筈である。また同人の生活費は収入の二分の一とみるのが相当である。
以上を基礎にして同人の逸失利益の現価を計算すれば別紙第2表のとおりとなり、結局同人は本件事故により金八、四九五、〇〇六円の損害を蒙むつたことになる。
〔証拠略〕によれば、訴外亡正邦の相続人は原告両名のみであることが明らかであるから、原告両名は同訴外人の死亡により、同人の右損害賠償請求権をその相続分に応じ各二分の一(金四、二四七、五〇三円)宛相続した。
(二) 原告両名の損害
1 亡正邦の葬祭費としては、その郷里が宮崎県であり、その居住していた藤沢市及び事故発生の埼玉県越ケ谷市と遠く離れていることを考慮し、金二五万円、即ち原告両名につき各金一二万五千円の範囲で相当の支出と認める。
2 原告両名の慰藉料としては、原告両名につき各金一五〇万円が相当である。
(三) よつて、原告両名は本件事故により右(一)及び(二)の合計各合計金五、八七二、五〇三円の損害を蒙むつたこととなる。
四 (過失相殺)
亡正邦がその親友であつた被告松本の郷里に遊びに行くために被告車に同乗したこと、同人が自ら申し出て被告車の運転に従事したこと、それは相当長時間に亘つていることはいずれも前記認定のとおりであり、また〔証拠略〕によれば、被告松本は昭和四三年一〇月に、亡正邦はそれよりも後に自動車運転免許を取得したことが認められ、このように運転経験の浅い同人が、馴れない道路でしかも未だ運転したことのない被告車の運転を申し出たこと、また同じく被告松本の運転を容認して同乗していたことからすれば、亡正邦には交通事故発生の危険を一部負担するという、いわば潜在的過失とも云うべきものがあつたと認められるから、民法第七二二条の過失相殺の規定を準用すべきである。
そこで、亡正邦と被告松本の過失割合を対比すると亡正邦二割、被告松本八割とするのが相当である。
よつて、原告両名の損害額から二割を減ずると各金四、六九八、〇〇二円となる。
五 (損益相殺)
原告両名が本件事故により各金一五〇万円、合計金三〇〇万円の自賠責保険金を受領済であることは当事者間に争いがないから、更にこれを控除すると各金三、一九八、〇〇二円となる。
六 よつて原告両名の本件各請求は、被告両名に対し各金三、一九八、〇〇二円及びこれに対する本件事故の日の翌日であること明らかな昭和四四年四月七日から完済迄民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において正当である(遅延損害金につき、原告両名は本件訴状送達の日の翌日であること一件記録上、暦算上明らかな昭和四五年三月二二日以降の分のみを訴求しているから、この点はこれに従う。)からこれを認容し、その余は失当としていずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文、第九三条第一項本文を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項、第四項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 若尾元 石藤太郎 西理)
別紙 第1表
<省略>
別紙 第2表
<省略>